炎上イ・ハイスクールの件。②
教師受難の時代である、と思う。
少子化と比例するかのように蔓延してきた、“過保護主義”とでも言うべき思想により
社会(保護者達)は寄ってたかって、教師の「威厳」や「裁量」といったモノを剥ぎ取ってしまった。
教師の社会的評価は地に落ち、それが職業モラルや意識の低下を招き、不祥事を誘発した。
それがまた教師叩きの原因となり、地に落ちたハズの社会的評価は、もはや奈落の底へ・・・という悪循環が起きている。
これにはまあ『卵ニワトリ』な面もあって、どちらが先かというコトでもないけれど
悪い意味での相互作用が働いているコトは間違いなさそうである。
劣悪な労働条件の下、熱意と高い意識を持ち、歯を食いしばって指導にあたる方々もおられように。
私は決して、体罰を容認するつもりはないけれど
正直なところ、子供の頃にはフツーの光景だった。
問題を起こした悪童が教師からゲンコツをもらい
呼び出しを受けた保護者はまさに平身低頭、平謝りする。
そして悪童は、そちらからもゲンコツをもらう・・・までが、ある種のテンプレであった。
しかしそれも今は遠い昔。
今もし悪童にゲンコツでもくらわせようものならば、呼び出しを受けて平謝りするのは、教師側である。
「竹刀片手に、仁王立ちする怖い先生」
なんて、もはや創作の世界でしかお目にかかれないのだ。
今の生徒達にとって、教師は畏怖の対象たり得ず
さらには保護者の“後ろ盾”を得て、やりたい放題に暴れ回るのだから、現場は堪ったモノではあるまい。
「美貌」「財力」「教養」・・・エトセトラエトセトラ。
何であれ、親が持たぬモノを子に持たせるのは、容易なコトではない。
それは「敬意」や「節度」も、同じなのである。
(続)