女人禁制の件。②
まるで【パブロフの犬】である。
『話題になった広告の件』や『セクハラポスターの件』でも少し書いたけれど
何か引っかかるワードがあると、その内容や前後関係、あるいは当時の状況等を吟味するコトなく
「女性差別だ!」
と、ヒステリックに喚き散らす集団がいる。
彼らは常に“敵”を欲し、探し求めている。
そして気にくわないコトがあると、脊髄反射的に噛みついてまわる。
そして口々に
「差別反対!男女平等!男女同権!」
と叫ぶのだれど、求めているのは本当に“同権”なのだろうか?
そもそも土俵の「女人禁制」という思想は
「国技」「興行」「神事」と、いくつもの要素を併せ持つ相撲の、「神事」の部分に由来する。
相撲に限らず、宗教色の強い行事や場所が「女人禁制」とされる例は、各地に存在する。
これには、殺生を好まない神々は、血そのものを「穢れ」として嫌うため
“月の便り”を持つ女性は同じように嫌われる、という説と
悟りを開く修行の場に女性がいると
もう野郎どもの気が散って、修行どころじゃなくなるから困る、という説と
まあ諸説あるのだけれど、いずれも『宗教の自由』なんではないかと、私は思っている。
宗教だから差別して良い、というモノでもないけれど
そもそも「土俵に上がる権利」って、わざわざデモ起こしてまで勝ち取らなくちゃいけないモノなの?
憲法って、そこまで保障しなくちゃいけないの?
それって、ただの自己顕示欲なんじゃないの!?
騒動の何日か後、どこぞの女性議員が土俵上でのスピーチを要求し、それを拒否されたと抗議していた。
「女性差別と叩かれている今なら断りづらいだろう。もし断られても、抗議の正当性が高まるだろう」
みたいな下心が透けて見えるようで、ひどく浅ましい行為に思えてしまう。
誤った“権利獲得活動”は、女性の社会的立場を悪くするばかりだと、気づいて欲しいモノである。