もはや勘弁あいならん!

魑魅魍魎が跋扈する現代社会を、独自の目線(という名の偏見)と怒りの刃で斬りまくる、ストレス発散ブログ。

国語力の件。④

「他者の《意図》に対して鈍感」

コレが如何に恐ろしいコトか、社会人の皆様ならお分かりだろう。
研修コストやトラブル発生率をハネ上げる、恐怖の“お邪魔ステータス”である。

「読み取るまでに時間がかかる」

ダケならマシだけれど

「時間をかけた末に読み違える」

のだから、事態は深刻である。
ちなみに、ヒドく手間取った末に「正しくない」と答えた参加者が2人いた。

「ああ、間違えなかったんだなー」

と、理由の欄を見てみると

「『ウサギとカメ』のカメは卑怯だと思う。ウサギを起こせばいいのに(中略)、まるで『勝つためには何をしても良い』と言っているようだ。(中略)ウサギは高い能力を持っていて、『そうなってほしい』と言われた事に対して肯定した事になるから、反論ではない」(男性:40代)

何ともエキセントリックな解釈である。
そしてもう1人は

「ゴロゴロさぼるというのは、勉強に限らないから」(女性:50代)

イ ヤ 何 が !?!?

この2人は、実質的に誤答であろう(苦笑)。
よって最終結果は


不正解・・・9人
正解・・・・21人

つまり「正解率」は70%で、ツイッターと同レベルというコトになった。
偏頭痛が再発しそうな結果である。

(続)

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国語力の件。③

「こんなの、間違えようがないだろう」

とタカを括っていたアンケートの、結果を分けたモノは何なのか。
実は今回、ある2つの傾向が判明したのである。

①回答に要した時間と正答率は、負の相関関係にある。

②明確な世代間ギャップが存在する。


この内①には当然、「国語力」が大きく関係しているだろう。
「正しくない」と答えた参加者は、そのほとんどが回答に時間を要さなかったのに対し
「正しい」と答えた参加者は、問題文を読みながら、しきりにクビをひねり、あるいはこちらちに問題文の意味を問いかけたりもしてきた。
また面白いコトに、音読する参加者が多かった。
そうして苦労した挙げ句、不正解に辿り着くのである(苦笑)。

「国語力」とは、単に文字を追いかけるチカラのコトではない。
書かれた文字から「意図を汲み取るチカラ」が、大切なのである。
誤答した参加者の理由を読むと、ほぼ全員が


「勉強しろと言われているのだから、テストの点数が良いのは反論になる」

といった主旨の回答をしていた。
それはつまり


「何のために『ウサギとカメ』を持ち出したのかを、理解できていない」

というコトである。
言うまでもなく、ココで言う《ウサギ》とは

「高い能力を持ちながら、その慢心によって足元をすくわれる者の象徴」

である。
それを引き合いに出した相手は、「能力」ではなく「姿勢」を批難しているのだと
それが相手の意図なのだと
そこを理解すべきなのに、思い至らない。
それは即ち

「他者の《意図》に対して鈍感」

というコトに他ならない。

つまり「国語力」も、突き詰めれば

「コミュニケーション能力」

の問題になるのである。

(続)



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国語力の件。②

アンケートの対象は、全部で30人。

年代は20代から50代と幅広く、男女比率は概ね4:6。
やや女性が多いモノの、まあバランスとして悪くはないだろう。
クレーム対応研修の途中で、サラリと例のアンケートを挟み込んでみた。
ついでに、その理由を書く欄も用意した。

その結果は

「正しい」・・・・・7人
「正しくない」・・・23人

ツイッターほどではないけれど、ソコソコの誤答率である。
立場上、この結果を

ツイッターよりはマシだった♪」

などと、脳天気に喜ぶワケにもいかない(苦笑)。
また、数字ダケを見て落ち込んで終わったのでは、わざわざ小細工を弄した意味がない。

実は今回のアンケート、参加者のリアクションや理由の説明といった“生”の情報を得るコトで
いくつかの傾向が、浮き彫りになったのである。

(続)



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「国語力」の件。①

『言葉は通じるのに、話は通じない。それはとても奇妙な感覚だった』

ツイッターなどでたまに見かける、古い藤子マンガのワンシーンである。
「コミュニケーション」というモノの本質を突くような、端的で鋭い指摘である。

子供達の学力低下が叫ばれて久しく、読解力についても教育の質や読書離れ、さらにはLINEの普及による「文章の短文化」など、様々な憶測が飛び交っているけれど、どれも決め手に欠ける感は否めない。
そんな折、あるツイッター上での論争をキッカケに、以下のようなアンケートを取ってみた。

https://twitter.com/higekosanhaten1/status/1371803455543603206?s=19

ちなみに、私が想定していた正解は

「正しくない」

である。
初見の皆様は、どのように思われただろうか?

このアンケート結果は、私に少なからぬ衝撃を与えた。
ハッキリ言って、こんな“常識問題”ならば、正答率は90%近くなるだろうと思っていたからである。
ところがフタを開けてみれば、正答率は70%。
総票数が100票強では指標としては心許ないけれど、それでもコレは低い。低過ぎる。

「コレは《ツイッター》という媒体の問題なのか?それともコレが、今の一般的な国語力なのか?」

どうしても気になった私は、再度ツイッター上で呼びかけ

「反論として正しい」

と回答した人達のロジックを分析しようとした。
しかし残念ながら、ほとんど回答は得られなかったのである。

悶々とした気持ちを抑えられぬ私は、一計を案じた。
会社の研修に合わせ、参加者達に同じアンケートを取ったのである。

(続)

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閑話休題:叙述トリック

『無能な案内係』

(チッ、またソレか・・・)

男は苛立っていた。

(こいつ、ヒトの話を全く聞いてねえな・・・)

男は先程から、案内係にアレやコレやと不満を訴えているのだが
その回答は、一向に要領を得ない。
──職業体験の女学生、というワケでもなさそうだが。

(ヘラヘラしやがって、少しぐらい申し訳なさそうな顔とかしたらどうなんだよ)

自分はコレほど怒っているのに、相手は怯んだ素振りも見せない。
その態度も気に入らなかった。
そこで男は、攻め方を変えるコトにした。
こんな無能を案内係にしたJRを糾弾してやろうと、質問の内容を変える事にした。

「駅長室はドコだ」

『駅長室は後方、南口改札の脇にございます』

「迷子を見かけたんだけど」

『迷子センターに連絡しますね』

「多目的トイレで・・・」

いくつ質問を重ねても、案内係は淀みなく答えた。
その知識量、判断の早さ、案内の的確さ。
どれを取っても、まるでベテランのそれだった。
それが却って腹立たしかった。
自分に対しても、こういう対応をすべきではないか。
男は再度、“本題”を切り出した。

「何度も言うけどさ、おたくが設置してる機械のせいで私の心が不快感を覚えてるんだよね!どうしてくれんのコレ!?」

『駅に関する質問だと嬉しいです♪』

「駅に!!関する!!!!質問だろうが!!!!!!」

激昂した男は、眼前の案内係を激しく殴りつけた。
周辺の通行人も驚いて足を止め、コトの成り行きを見守る。

しかし、画面の中の『さくらさん』は意に介した様子もなく、淡々と“職務”を遂行した。

『駅に関する質問だと嬉しいです♪』

(終)

表現規制の件。~ツイフェミ妄言1問1答~

『宇崎ちゃん』騒動以来、ツイフェミを始めとした表現規制派によって垂れ流されてきた、多くの妄言。
それについて1つずつ、客観的事実と照らし合わせてみたいと思う。

妄言①:献血と関係ないから差別!!

事実①:ポスターは「コラボ告知」のために作成されたモノであり、これ以上ない関係性を持つ。
またコラボは過去何年にも渡って定期的・継続的に行われており、『宇崎ちゃん』もその1つに過ぎない。


妄言②:デリケートな部分(胸)が真ん中にくる構図だから、性的強調!!

事実②:マンガのイラストで主人公が中央に配置されるのは、極めて妥当。
それを『性的』と評するなら、(↓)の画像も同じ評価になる。

https://twitter.com/YynhQx1oeWhnise/status/1308356325739438080?s=19

さらに構図を分析した結果

「胸ダケを強調しようとした構図とは言えない」

という結論も出ている(↓)。

https://twitter.com/s_uepon/status/1291626891938377728?s=19



妄言③:他の構図にもできたのに、あえて性的に描いた!!

事実③:赤十字と作者の都合が合わず、最新刊(当時)の表紙を流用したダケ。
加工の手間、認知度等から見ても、極めて合理的な判断。


妄言④:『私の胸を見てぇん♪』と言っている顔だ!!

事実④:妄想(苦笑)。
原作を知らなくとも、セリフとの整合性から、むしろ「小バカにしている」と判断できる。



妄言⑤:胸を大きく描いたら性的で差別!!

事実⑤:むしろ、その主張が体型差別。
そもそも《デフォルメ》によって身体的特徴を強調するのは、様々な表現に共通した技法であり、胸だけを特別視するコトは非合理的。
しかも『宇崎ちゃん』に限れば、デフォルメされてなお、それを超えるスタイルの女性が無数に実在する。
結果的に、このロジックで現実の女性を傷つけ、大きな反発を受けた。
まさに女性の敵である。



妄言⑥:ちゃんと《ガイドライン》がある!!

事実⑥:その《ガイドライン》は「官公庁の広報活動」を対象にした物で、そもそも対象外。
また、仮にガイドラインを適用しても、①~⑤により問題ない。



妄言⑦:献血ルームは公共性の高い場所だ!!!

事実⑦:既に全国の書店で、全年齢向け作品として販売されており、ポスターの貼付やノボリの設置も行われていた。
また、主要駅でも広告が貼り出されており

「僅か7都県の献血ルーム

は、それに比べれば逆に目立たないホドである。



妄言⑧:赤十字は命を扱う特別な機関!!

事実⑧:鉄道の公共性に比して、特別な“配慮(苦笑)”を強要される根拠がウスい。
そもそも、その『命』を脅かす献血ボイコットを煽動した輩が何をホザくか(苦笑)。

というワケで現状、彼らの主張は嘘と妄想ばかりである(苦笑)。



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表現の件。番外編:「青識異論」

「ツイフェミによる萌えイラスト批判は、なぜ逆炎上するのか」

このメカニズム・動機については、私なりに思うトコロがある。

先日この問題について、“御大”である青識亜論氏がこのように語った。

https://twitter.com/BlauerSeelowe/status/1305470111109660685?s=19

状況の分析として、納得できる部分もある。
規制派の“バケの皮”が剥がれ、勢いを増す反規制派。
その中で、規制派と『同じ穴のムジナ』になってしまう一部勢力。
そうした人達に自制を促し、《表現の自由》を“絶対正義の旗印”として振り回す行為に歯止めをかけたい。
その意図は読み取れる。

それでもなお、私は異論を唱えたい。

彼らの怒りは

「萌えイラスト、引いてはオタクという存在そのものに、『公共に相応しくない』なんてレッテルを貼られたくない」

などという

薄 っ ぺ ら な “ お 気 持 ち ” で は な い 、 と 。


青識氏は

『規制派がいくら騒いだって『宇崎ちゃん』は本屋さんで買えるし、《表現の自由》は侵害などされていない』

と主張する。
しかし

ソ レ は 結 果 論 に 過 ぎ な い 。

もし、規制派の求めるモノが「適切なゾーニング」ダケならば
アダルトショップに突撃して、ドールの写真を晒したり
わざわざ過激なAVを検索して、内容を紹介したり
18禁マンガのスクショをベタベタ貼ったりして
ギャアギャア喚き散らすようなマネは、しないハズである。
反規制派は、そのコトを良く分かっている。

反規制派の“お気持ち”を言語化するならば、それは

「“要求”と“手口”が際限なくエスカレートするクレーマーが、物事の決定権を握ろうとするコトに対する、猛烈な忌避感」

であろう。
それも宜なるかな
反規制派は、イヤと言うホド見てきたのである。

人の命を盾に取るが如き、献血ボイコットを。
意に沿わぬ女性に対する、誹謗中傷の嵐を。
タイトルが気に食わないからと連載中止を要求する、ツイッター煽動を。
“好ましい例”として挙げたイラストを、その舌の根も乾かぬうちに炎上させる、掌返しを。
だからこそ

「このままでは、あらゆる表現が“お気持ち”次第で潰されてしまいかねない」

と、誰もが危惧しているのである。
果たして、それは杞憂なのだろうか?

前述の通り青識氏は

『権利や自由は侵害されていない』

と評している。
結果ダケ見れば、そうなのかも知れない(『宇崎ちゃん』騒動で、仕事をキャンセルされたV-tuberさんもいたけれど)。
しかしそれは、往来で包丁を振り回す人物を前にして

『まだ数人が軽傷を負った程度なのに、人殺し呼ばわりするべきではない』

と主張するような、著しく危機感や想像力を欠いた言説ではないだろうか?
もし出版社が、連載中止要求に折れていたら?
もし広告代理店が、あのモデルさんを「使いづらい」と判断していたら?
同じコトを言えるのだろうか?

それでもなお、規制派の言動を

『自由の侵害ではなく、《批判する自由》の範疇である』

と位置づけるつもりなら、それも結構。
ならば私は、彼らの言動を

「独善的で狂信的な“正しさ”を押しつけ、隙あらば他者の自由を侵害 し よ う と 目 論 む お気持ちテロリスト」

と《批判する自由》を、行使させてもらうとしよう。

「自由」「対話」「相互理解」・・・美しい“お題目”である。
しかし、そんな上っツラの美しさダケで話を進めようとするならば、それは規制派の『思うツボ』なのではないだろうか。
(終)