【ホワイト国】狂騒曲⑥
この世の全ての物事が、数値化できるワケではない。
そして往々にして、数値化できない物事の方が大切だったりもする。
「信用」や「信頼」は、その筆頭なのではないだろうか。
【ホワイト国】除外の措置をめぐる騒動の中で、私が強く疑問に感じるコトがある。
それは
「『決まり事を守れない国だから優遇ヤメます』は、正当な理由にならないのか?」
というコトである。
安倍首相は当初
『国際的なルールを守れない国は、貿易上のルールも守れないと考えるのは当然』
みたいな発言をしていた。
私も「でしょうねぇw」ぐらいにしか思っていなかった。
ところが、である。
当事者の韓国は元より、多くのメディアや自称・有識者達は、口々に
『政治問題を経済に持ち込むのは卑怯だ!』
と、反発しまくったのである。
制度の詳細が知られていない初期段階ならイザ知らず
(いや、それだって“有識者”なら知っとけよって話なのだけれど)
その中身や除外理由を、それなりに説明できるようになった段階でさえ
『最初にあんなコトを言ってたんだから、色んな理由を後付けしても報復なのだ!』
と、撤回を求める韓国に同調し、政府の対応を批難する人々が後を絶たなかった。
い や 、 ア ン タ ら 何 を 言 っ て ん の ?
そもそも、ある国を【ホワイト国】に指定するというコトは、単に
「事務負担を軽減し、2国間の貿易を円滑にする」
というコトでは済まない。
「本来ならば日本が行うべき安全管理の一端を、対象国に委ねる」
というコトであり、それは即ち
「日本が関わる世界中の人々の生命と財産の一部を、対象国に預ける」
と言っても、過言ではないハズである。
では、それに足る“資格”とは何だろうか?
取引量?
技術水準?
担当職員の人数?
工場や倉庫の総面積?
そのどれも無関係ではないだろうけれど、結局のトコロ
「『この人(ていうか国)になら任せも良い』と、信頼できるかどうか」
というコトに集約されるハズである。
それなのに、2国間の約束も国際的なルールも全て無視して
道理の通らぬワガママばかり喚き散らし、押しつけようとする国を
一体どうやったら信用できるのかと。
ドコを信頼して、“世界中の生命と財産”を預けろと言うのかと。
是非、自称・有識者の皆様に伺ってみたいモノである。
「信用」は、大声で押しつけるモノではない。
韓国は自らが果たすべき責任と向き合い、静かに努力するべきであろう。
(続)