もはや勘弁あいならん!

魑魅魍魎が跋扈する現代社会を、独自の目線(という名の偏見)と怒りの刃で斬りまくる、ストレス発散ブログ。

セクハラポスターの件。①

幹久クンも、とんだとばっちりだろう。

少し前に、内閣府が東幹久をモデルに起用して、セクハラ問題を扱ったポスターを作成したのだけれど
なぜかと言うか、やはりと言うべきか、批判が集まっているらしい。

ポスターの内容を簡単に説明すると
一見すると何気なさそうな日常会話に対して、しかし女性の不快そうな反応が返っている。
そして、渾身の顔芸を披露する東幹久をバックに

『これもセクハラ?』

というフレーズがデカデカと書かれ、その下の方に
『セクハラを決めるのは、あなたではない!』
『相手や周囲に配慮した言動を!』
と、やや控えめなサイズで続けられている。

このポスター、批判する人達に言わせると

「『何でもセクハラ扱いする女が悪い』みたいに読める」

「被害者ではなく、オッサンを守るポスターに見える」

「被害者の抱える深刻さが伝わらない」

のだそうである。
なるほど、コレは確かに、まことにもって

ク ソ く ら え で あ る 。

上記のような批判をしている人達は
啓蒙するコトの意味も
セクハラ問題の“元凶”も
全く理解できていないように思える。

確かに、ニュースやドラマで目にするようなセクハラは
オッサンの権力や女性蔑視・軽視を背景とした、悪質なモノばかりなので
それこそが“元凶”だと認識しているヒトが多いようなのだけれど、さにあらず。
「セクハラ」という言葉すら一般的ではなかった頃ならいざ知らず
最近はむしろ、このテの【悪質犯】は(割合としては)減少傾向にあり
逆に目立つのが【無自覚犯】なのである。

立場上、多くのセクハラ問題と向き合ってきたけれど

『これもセクハラ?』

は、加害者たるオッサン連中の(甘えや自己弁護も含めた)偽らざるホンネであり
問題化した際の第一声として、ブッちぎりの1位を獲得している。
つまりオッサン連中の多くは、何がセクハラなのか正しく理解できていないワケで、言い替えるなら

「セクハラに関する、男女間の絶望的に大きな感覚的ズレ」

こそが、現代におけるセクハラ問題の“元凶”なのである。
その意味で、このポスターが

「それこそ何でもかんでも、セクハラになる可能性はあるのですよ」

と訴えたコトには、まず大きな意味があるのだ。
そしてこのポスターは

「被害者を救済するため」

に作成されたのではない。

「被害者を増やさないようにするため」

にこそ、作成されたのである。

では被害者を増やさないためには、どうすれば良いのか?

「加害者を増やさなければ良い」

のである。

ケガや病気も、同じではないだろうか?
治療を軽んじる人なんて、絶対にいない。
しかし予防できるなら、その方が良いに決まっているハズだ。
だから東幹久は、必死の顔芸でオッサン連中に問いかけているのだ。

「気づかずにセクハラしてませんか?」

と。


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