もはや勘弁あいならん!

魑魅魍魎が跋扈する現代社会を、独自の目線(という名の偏見)と怒りの刃で斬りまくる、ストレス発散ブログ。

話題になった広告の件。①

『わたしは、私。』

皆様ご存知、某大手百貨店の広告である。
このキャッチフレーズ自体は、けっこう前から使われているのだけれど
今回、コレに合わせて作成された動画やポスターに、なぜか批判が集まっているという。

パイ投げをくらう女性の動画と、それを写真にしたポスターで
特に問題なさそうに見えるこの広告は、しかし批判する人々にとっては“差別的”なのだと言う。

曰く

「女性の顔にパイをぶつけるなんてヒドい、不快だ」

「謳われた文言と写真(動画)が噛み合ってない」

「キレイ事ばかり並べて、女性差別の問題をごまかしている」

エトセトラエトセトラ。
なるほど、そういう見方もあるのか。

ク ソ く ら え で あ る 。

彼らは一体、何を求めているのだろう?
私から見れば、この広告のコンセプトは極めて単純で

「“性別差”というモノに固執せず、それを超えた“自分らしさ”を見つけよう」

「周囲からの様々な抑圧や不都合に負けず、それを逆に楽しんでしまおう」

みたいなモノだと思われ、顔面にパイをくらいながら笑っている女性が、その象徴というワケである。
文言と映像は、バッチリ噛み合っているし
これを差別と捉えて騒ぐ人達は、まさに
『“性別差”に固執する人達』
と言える。

さて、私の推論がハズレていないコトを祈りつつ、話を進めよう。
このコンセプトは、女性の社会進出が話題に上がり始めた頃からの普遍的なテーマであり
陳腐と言えば陳腐だし、確かにキレイ事でもある。

しかし、キレイ事の何が悪いのだろうか?
そもそもコレは政治屋さんのマニフェストではなく
就活生に向けた企業スローガンでもなく
あくまでも、広・告・なのである。
あるワイドショーでは、美人と名高い元・女性議員が

「企業として差別の撲滅に努力すべきなのに、問題点を“個人の気の持ちよう”にすり替えている」

などと吠えている。

うるさいなぁ、そんなだからダンナ寝取られて辞めるハメになるんだよ。

社会制度を変えるのは政治屋さんの仕事でしょうよ。
“清き1票(笑)”のチカラで、何とかしなさいよ。

企業内部での差別は無くすように努力するべきだろうけれど
そんなのは客の知ったこっちゃないし。
売り場で聞かないでしょ?
人事的な差別の有無とか。
広告に求めるのは【デザインコンセプト】とかで良いんじゃないの?

とりまく環境への不満ばかりを抱えて生きるって、ツラくないのだろうか?
自分が抱えた“不幸”や“不遇”は、ホントに社会的な差別のせいなのだろうか?

差別だ、差別だと声高に主張する人達を見る度に

「そんなコトしか考えられないから、そんな状況になってんじゃないの?」

と、ツッコミを入れたくなるのである。


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