“お隣さん”の件④
『勝ちを譲る』
『花を持たせる』
こうした行為は我が国において、概ね「善行」として認識されている。
時として、日本人にとっては「結果」と同じぐらい、あるいはそれ以上に、「過程」が重要なのである。
であればこそ、最後のイスを見事に勝ち得た私よりも
それを譲ったM子に賞賛が集まったのである (末恐ろしい“魔女”誕生の瞬間であった)。
しかし、それが成立するのは、ココが日本だからである。
日本人にとって「謙虚」や「献身」は紛れもない美徳であり、また
「生き恥を晒すよりも潔く腹を切る」
とでも言うような、武士道じみたモノに端を発した日本人の精神性こそが、それを成立させているのである。
しかし、“お隣さん”は全く違う。
彼らにとって最も大事なのは「結果」であり
その過程でどれほどの恥をさらしたとしても、それは
「望む結果を得るための“努力”」
に過ぎないのではなかろうか?
もっと突っ込んでしまえば、彼らにとって「真の恥」とは、すなわち
「相手(≒日本)に負けるコト」
であり、それさえ回避できるなら、他はどうでもいいのではなかろうか?
もちろん
「そうしなければ、社会的にも物理的にも自分のクビが飛びかねない」
というプレッシャーも大きいのだろう(それも自業自得なのだ)けれど。
もしかしたら、あの国で『勝ちを譲る』というのは
ただ勝利を諦め、努力を放棄する愚行でしかないのかも知れない。
だとするならば日本は、今まで譲り続けてきてしまったツケを払わされているのだろう。