表現の件。番外編:「青識異論」
「ツイフェミによる萌えイラスト批判は、なぜ逆炎上するのか」
このメカニズム・動機については、私なりに思うトコロがある。
先日この問題について、“御大”である青識亜論氏がこのように語った。
https://twitter.com/BlauerSeelowe/status/1305470111109660685?s=19
状況の分析として、納得できる部分もある。
規制派の“バケの皮”が剥がれ、勢いを増す反規制派。
その中で、規制派と『同じ穴のムジナ』になってしまう一部勢力。
そうした人達に自制を促し、《表現の自由》を“絶対正義の旗印”として振り回す行為に歯止めをかけたい。
その意図は読み取れる。
それでもなお、私は異論を唱えたい。
彼らの怒りは
「萌えイラスト、引いてはオタクという存在そのものに、『公共に相応しくない』なんてレッテルを貼られたくない」
などという
薄 っ ぺ ら な “ お 気 持 ち ” で は な い 、 と 。
青識氏は
『規制派がいくら騒いだって『宇崎ちゃん』は本屋さんで買えるし、《表現の自由》は侵害などされていない』
と主張する。
しかし
ソ レ は 結 果 論 に 過 ぎ な い 。
もし、規制派の求めるモノが「適切なゾーニング」ダケならば
アダルトショップに突撃して、ドールの写真を晒したり
わざわざ過激なAVを検索して、内容を紹介したり
18禁マンガのスクショをベタベタ貼ったりして
ギャアギャア喚き散らすようなマネは、しないハズである。
反規制派は、そのコトを良く分かっている。
反規制派の“お気持ち”を言語化するならば、それは
「“要求”と“手口”が際限なくエスカレートするクレーマーが、物事の決定権を握ろうとするコトに対する、猛烈な忌避感」
であろう。
それも宜なるかな。
反規制派は、イヤと言うホド見てきたのである。
人の命を盾に取るが如き、献血ボイコットを。
意に沿わぬ女性に対する、誹謗中傷の嵐を。
タイトルが気に食わないからと連載中止を要求する、ツイッター煽動を。
“好ましい例”として挙げたイラストを、その舌の根も乾かぬうちに炎上させる、掌返しを。
だからこそ
「このままでは、あらゆる表現が“お気持ち”次第で潰されてしまいかねない」
と、誰もが危惧しているのである。
果たして、それは杞憂なのだろうか?
前述の通り青識氏は
『権利や自由は侵害されていない』
と評している。
結果ダケ見れば、そうなのかも知れない(『宇崎ちゃん』騒動で、仕事をキャンセルされたV-tuberさんもいたけれど)。
しかしそれは、往来で包丁を振り回す人物を前にして
『まだ数人が軽傷を負った程度なのに、人殺し呼ばわりするべきではない』
と主張するような、著しく危機感や想像力を欠いた言説ではないだろうか?
もし出版社が、連載中止要求に折れていたら?
もし広告代理店が、あのモデルさんを「使いづらい」と判断していたら?
同じコトを言えるのだろうか?
それでもなお、規制派の言動を
『自由の侵害ではなく、《批判する自由》の範疇である』
と位置づけるつもりなら、それも結構。
ならば私は、彼らの言動を
「独善的で狂信的な“正しさ”を押しつけ、隙あらば他者の自由を侵害 し よ う と 目 論 む お気持ちテロリスト」
と《批判する自由》を、行使させてもらうとしよう。
「自由」「対話」「相互理解」・・・美しい“お題目”である。
しかし、そんな上っツラの美しさダケで話を進めようとするならば、それは規制派の『思うツボ』なのではないだろうか。
(終)